Aぇ! groupを好きになって自分が大きく変わった話

こんばんは。やっと秋らしくなったかと思えば、最近はすごく寒いですがみなさんいかがお過ごしでしょうか。毎日お疲れさまです。

 

miです。

 

このアカウントを開設してから1年が経ったので、ちょっとブログを書いてみようかと思い立ちました。

今回は、少し暗い話もしますし、長くなる予感がするので、嫌になったら画面を閉じてくださいね。すみません。(いろんな話がごっちゃになる気もする)自分の記憶の整理です。

 

①Aぇ! groupが好きになる前のお話。(ここから暗くなるので、今しんどい思いをされている方は見ないほうがいいかもしれません)

2020年春 新型コロナウイルスが蔓延しだした頃、私は大学を卒業し、大学院に進学するという節目のタイミングに立っていました。大学の卒業式も中止で、卒業旅行にも行けず、突如終わりを告げた大学生活。入学式も中止となり、授業開始日も1ヶ月ほど延期となってしまったため、大学生との区別もつかないまま、大学院生となりました。

まだ大学生気分ではあるけれど、「大学院生なのだからなんでも知っていなければ」というような気負いも混じっている中始まったオンライン授業。必修の授業がなぜか同じ日に4コマ重なっており(しかも全部他分野の授業)、またそれら全てが本などを読んでレジュメを作成する必要があるものでした。すごく大変だし、内容も他分野だからいまいちよくわからない。でも、大学院生にもなって「わからない」ということは恥ずかしいことだと思っていた(以前のブログ参照)ため、自分で抱え込んでいました。オンライン授業だと、「名前を知っている」程度の先生に直接質問することへのハードルが一気に上がり聞くこともできなかったのです。また、自分の専攻においてもわからないことが続出したり、修士論文のテーマが全く決まらなかったりと、「できない」ことが多発し、それが完璧主義な私にとっては大きな挫折でした。

通常なら、友人に会ったり、出かけたりしてストレス発散できたのでしょうが、自粛期間。どんどんストレスが溜まっていき、「やらなければならないことはたくさんあるのに全く体が動かない」状態になりました。朝5時まで起きて昼まで寝て、授業を受けて寝るというような生活サイクルになりました。(今もだけど)そうなると、「同級生は社会人になっているのに、自分は何をしているんだろう。」という思考が生まれ、また病む。最悪のサイクルに突入しました。消えたいと思うまでに。さらには「消えたい」を超えて「自分のことは心からどうでもいい」っていう感情も生まれました。

この時すでにジャニーズ界隈に舞い戻ってきてはいたのですが、Twitterを見ると否定的な意見が多い時期で、それが病んでいる私にとっては「私の好きな人が叩かれている=その人を好きな私まで否定されている」という気分になり余計に苦しくなるため、見ないようにしていました。(私がたまたまそのようなマイナスのものを見ていたのだと思いますし、そういう方ばかりではないことは重々承知しています。)

※ちなみにこの時から得た学びは、

①しんどい気持ちの時には嫌なニュースや自分の心がしんどくなるものからはとにかく離れる。目に触れない。できる限り逃げる。(例えそれが家族であっても。逃げという言葉をここでは使うけど、逃げじゃなくてそれも「選択」だなと最近は思う。)

人と比べない。 情緒がブレるので。(これは推し活に関しても)

ある程度人との交流は持っておいた方がいい。家族以外にも話ができる人がいた方がいい。

何かのために頑張るならいいけど「頑張らなきゃ」って思って頑張るのは義務感を感じすぎてそれに首を絞められてしまうので避けた方がいい。

ということです。

 

②Aぇに出会った頃のお話

そんな時、728の日に関西ジャニーズがライブをすることを知りました。もともと嵐が好きだったため、VS嵐ひみつの嵐ちゃんマネキンファイブに出演していた関ジャニ∞のことは普通に好きだったし、ジャニーズWEST、なにわ男子のことも知っていました。「知っているグループがいっぱい出るなんて豪華だなあ〜、見てみるか」くらいの軽い気持ちでチケットを購入し、そこでAぇ! groupに出会いました。何よりも楽しそうに全力でパフォーマンスをされている姿が印象的で、自然とこちらが笑顔になるような、そんな魅力を感じました。そのまま流れるようにドリアイのチケットも購入。思い描いていたイメージをいい意味で裏切られ(シンデレラガールとホワラ)、トークに笑い、ボクブルースを聴く頃にはもう号泣していて、完全にファンになっていました。

汗を流しながら、でも楽しそうに、一生懸命「大丈夫、きっとうまくやれる」「大丈夫 ゆっくりでいいから 前に 前に行こう」「共に越えていこう この先もずっと ずっと 一緒に」と歌ってくれる彼らは、その頃の私にとってどん底から救ってくれる一筋の光となったのでした。地上まで引き摺り出してくれたような、そんな感覚。真っ暗な世界が一気に光に照らされた感じがしました。あの感覚は忘れられません。

(さのすえに落ちたきっかけは本当に覚えていなくて、いつしかさのすえに狂っていたし画像フォルダに山ほどのさのすえがいました)

 

③アカウント作成から変わった自分

 

好きになってもしばらくはアカウントを作っていなかったのですが、思い立って作成。

ある時グレショーのツイートをしたときに、私の書いている文章が好きだと言ってくれる方がいました。その言葉が本当に嬉しくて。この時は修士論文のテーマが決まっていなくて、そのことに悩みすぎて言語学のこともあまり好きになれなくて義務感を感じている時期だったのですが、フォロワーさんから褒めていただいて、「自分の学んできたことが少なからず自分の役に立っている」ことに気づけたし、自分の書く文章が誰かに好きだと言ってもらえることがあるんだ、、とちょっと。

 

他にも

めちゃくちゃわかりあえるフォロワーさんと出会えた。

まさかの同じ専攻の方がいて、話すうちに自分の専攻のことがより好きになった。

Twitterは基本的に書き言葉なので、自分の考えを書いているうちに思考整理ができるようになって、自分のことをより理解できるようになった。

自分の専攻や日本語に対して興味を持ってくださる方がいた。

マシュマロなどで提供してくださった話題について話すことでいろんな意見を知ることができて、考えが深まったり、自分の生き方について考えることも増えた。

コンサートのために自分を着飾るのも楽しくなってきた。

自分のことに関しては嫌いである以上に興味がなかった私だったけれど、Aぇ! groupを好きな自分のことは肯定できるし、Aぇ! groupのことが好きな自分ってめっちゃセンスいいじゃん!?とまで思えるようになってきた。

なんか、この一年で劇的に変わったんですよね。いい方向に。

 

こんなにも楽しめているのは、Aぇ! groupのおかげ。雑誌やテレビなどでの姿とか、発される言葉に何度心救われたことか。自然に、「頑張ろう」と思わせてくれる、前を向かせてくれるグループ。それは何よりもAぇ! groupが常に前を向いているから。

そしてTwitterっていう匿名の、相手のことが見えない世界ではあるけれど、素敵な方達に恵まれているっていうことも私には大きくて。優しい世界に浸らせてもらってるなあ。FFさんみんな優しいし大好き。大学卒業してからも新しい交流ができるなんて思ってなかったな。

SNSって使い方次第で自分に良い影響も悪い影響ももたらすものだと思っているけど、幸にも私には良い影響ばかり。1年半前に心が荒んでいた頃は、ここまで気持ちが回復するとは思ってなかった。

全てAぇ! groupがもたらしてくれた世界なんだよな、、

 

④最後に

些細なことでも一瞬で広がってしまうSNSという世界。自分の意見や考えを発信しやすくなったけども、その分言葉に配慮したり、憶測や間違った情報を流す側にならないように注意を払った方がいいとか、「何を言うかより何を言わないかが大事」とか、この一年で改めて学んだことがたくさんあるし、SNSの使い方とかSNSを使った応援の仕方について悩むことも傷つくこともモヤッとすることもある。でもこれからも今まで通り、自分にとって良い影響をもたらせるように効果的に使っていきたいと思います。Aぇ! groupはとにかく素敵なグループだから、これからも好きなところをどんどん発信していきたいな。自分の応援したいように、マイペースに楽しんでいきたい。

あと、Aぇ以外の部分では自分が言葉に救われたように、自分の言葉が少しでも人の支えになれればいいなとも思っています。

 

消えたかった過去の自分へ、今の私はAぇ! groupを好きになって毎日が幸せです。

あの時配信を見てくれてありがとう。

 

ツイートが多くて本当にうるさいので毎度ご迷惑をおかけしているのは重々承知なのですが、これからも多くの方と仲良くさせていただきたいと思っているので、どうぞよろしくお願いします!!!

分からなくてもいいんじゃないか

こんにちは。miです。

 

みなさまいかがお過ごしでしょうか。暑くなったり急に大雨が降ったりと、不安定な状態が続いていますが、お元気にされていますか。私はなんとか元気です。(手紙??)

 

さて、今回はAぇと全く関係ないことを書いていこうと思います。Aぇ垢なのにAぇ関係なくてすみません。公開アカウントがこちらしかないもので、、

 

 

今回のテーマは「分からなくてもいいんじゃないか」です。

タイトルだけでは ??と思うかもですがもしお時間がありましたら、目を通していただけたら幸いです。

 

今回の話を考えることになったのは、大学院での授業がきっかけです。

元々私の勝手なイメージではありますが、大学院は「自分の研究分野の専門性を高めるための場所」であり、大学院生になったからには何でも知っていなければいけないと考えていました。

 

私の所属する大学院は、大学院生になっても自分の専門分野以外の分野もいくつか授業を取らなければならないという制度がありました。なので、私自身言語学専攻ではありますが、教育学などの授業も履修していました。その授業は外国の方が書かれた教育学の専門書の翻訳版を読んでレジュメにまとめ、話し合うという内容でした。

レジュメは本の要約をすればなんとかなったのですが、教育学を全く学んだことがなく知識が皆無である私には、本に書かれてある意味がまったくもって理解できず、疑問点や自分の考えすら思い浮かばない状態でした。(これは日本語で書かれてるのか?レベル)そしてそれは知識がない私が悪く、大学院生にもなってこんなこともわからないなんて恥ずべきことだと思っていました。

 

しかし、恐る恐るその旨を伝えたところ、先生は、「そうなんだよねえ、全然わからないんだよねえこの本」とおっしゃいました

 

???????????

 

授業を受け持ってくださっている先生はこの分野の専門とされていらっしゃって、何年もご研究されているはずなのに「わからない」とは????

 

そうして先生はこう続けました。

「この授業は、この本を「この言葉はどういう意味なんだろうね」「こういう解釈なのかな」「わからないねえ」ってみんなで言い合いながら一緒に読み進めたいと思います。ですので1回の授業で1ページも進まない時があってもいいと思ってます。」

と。

衝撃でした。何年も研究されている先生でも「わからない」ことが多いこと、そして、考えた挙句、結局「わからな」くてもいいんだということが。必ずしも結論を出さなくてもいいということが。

 

そしてこれは、自分の専門分野の授業においても起こりました。専門分野にも関わらず全く理解できない論文に出会ってしまった時、専門分野でさえもわからなきことに落ち込んでいたのですが、その際も先生が「〇〇っていうことなのかもしれないけどわからないよね」とおっしゃったことがありました。

自分の専門分野でも!!知識不足という原因以外でも「わからない」って言っていいんだ!という衝撃をここでも受けました。

 

ここまで読まれていて、「人間やからわからんことくらいあるやろ」と思われるかもしれません。「わからんから研究してるんちゃうん」と思われたかもしれません。ごもっともです。それでも私にとっては衝撃だったのです。考えた挙句、「わからない」という結論を出してもいいということが。

 

どうして「わからない」と発信することを躊躇ってしまうかと考えると、小学校から今までの教育の中で「わからない」ということは恥とされる、または自分の責任であるとされることが多かったからなのではと思います。テストなどでは、「わからない」ということは「覚えていない、勉強不足」とされたりだとか(基礎知識のテストなのでそりゃそうだという一面もありますが)、大学のレポートなどでも「よく考えたけどわかりませんでした」という結論を出したことはなかったなあと。そのようなことを書くときっと評価が悪くなっていたかもしれません。

 

でも「考えてみたけどわからない」ことって決して恥ずかしいことではないし、そういう結論があってもいいんですよね。

このことは私が大学院で得た大きな気づきだと思っています。これに気づくまでにここまでかかったのかと言われてしまいそうですが。

 

そしてこれは演劇だとかそう言った類にも当てはまるのでは、と私は考えます。

例えばグレショーとか。前回の『おしりと御飯』などのように、「あれってどういう意味だったんだろう」という場面が、演劇などだと特に出てくると思います。私にとっては『染、色』もそうでした。そういうものに出くわした時、「あの部分ってこういう意味だったんだろうか」「私はこういう風に解釈した」という意見や考察は本当に見ているのも楽しいですし、私もよくしますし、どんな意見もあっていいと思います。

そしてそこに「考えてみたけどわからなかった」「どういう意味だったんだろうね」という意見があってもいいのではと思います。「わからなかったけどきっと多くの人が共感しているからこの考察が正しいんだろう」と、無理に落とし込むのではなくて、「わからなかったな」という思いのまま閉じてしまってもいいのではないでしょうか。

私は今まで無意識に「こう思わなくてはいけない」「きっとこう考えるのが正解」と思っていたのかもしれません。でも、「わからなかった」と気づけるということも大きな財産なのかなあと思うようになりました。わからないっていうのも正解なんだなあ。

 

 

以上、結局なんの話をしたいのかという感じですが、誰に宛てたわけでもなく、頭に思い浮かんだことをそのまま書き連ねてしまったという次第です。大学院でこんなこと学んだよ〜、そこからこんなこと考えたよ〜というような。

(その割に長いけど)

 

ここまで読んでくださった方、いらっしゃるのでしょうか。(自信がない)

いらっしゃるとしたら、読んでくださったこと、心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

 

さのすえのステナビを読んだ感想を残しておきたい

こんにちは。miと申します。

昨日5月27日にStage navi vol.56が発売されましたね!!

末澤誠也さん、佐野晶哉さん、いわゆるさのすえが初めてのコンビでのインタビュー、そしてピンナップ!!!どんなに待ち望んだことでしょう。(私が)本当に本当に、、嬉しかった。発表されてから発売までの期間が短くて、現実味をおびないまま、発売日当日を迎えてしまいました。

本当に嬉しかったので、開店直後に買いに行き、大学に向かうまでに読み、号泣しました。

入手した時間が早かったため、ネタバレ回避のため、ふせったーでつぶやいたのですが、初めてのコンビでのインタビューに抱いた気持ちを残しておきたくて個人の記録用としてここに置いておきたいと思います。(以下、ネタバレを含みます。)

 

まず、1ページ目の写真の角度のシンクロ具合が既に好き。きっと定規をあてたら完全に平行だとわかるだろうぐらいにはシンクロしていると思う。(伝われ)

最初の紹介文の「結成前はほとんど話したことなかったけど今ではバラエティ番組でもステージ上でもタッグを組めば最高で最強(要約)」という文でもう号泣だった。

誠也くんから「佐野は大切な仲間やで」ってコメントを佐野くんに送ってるのを誌面で見られるとは思ってなかった。佐野くん→誠也くんへの言葉はよく贈られていたし、誠也くんも「かわいい末っ子」とか「多才」とか言っているのは目にしてたけど、なんか今回のは特に胸にずっしりきて、ここをよんで人目も憚らず泣いてしまった。

 

対談(ここから先は全て新規なりに思ったこと)

さのすえってこんなに仲良くなったの、、って改めて思う場面ばかりだった。

仲がいいというよりは通じ合っている感じというか本当にメンバーとして、コンビとして相性がいいんだなって。(贔屓目も入っているが)お互いへの絶大な信頼感。それは佐野くん→誠也くんだけではなくて、誠也くん→佐野くんに対しても相当信頼をおいているんだろうなと。

マネージャーさんが、「さのすえ王国以来、バラエティー色強いロケとかはさのすえを組ますようになった」という話はシンプルに嬉しかった。さのすえ推しということを差し引いても、さのすえはバラエティーでめちゃくちゃ相性がいいのでは??と思っていたので。(マホレスが何よりもよかった。お互いをうまくいじりながらもそれぞれの良さを引き出している感じで)意図的にさのすえを選んでくださっているマネージャーさんにファンレターを送りたい。

 

誠也くんが終始素敵な言葉を佐野くんに贈っていて。直接言っているのが嬉しくて。見るたびに泣いてる。

「佐野とは俺もやりやすいと思ってる」「最年少やからフォローしてあげないととか考えたことない。頼もしい」とか。そんなん泣くやん。なんだろう、8歳の差はあるんだけど、誠也くんは佐野くんを「めちゃくちゃ年下で、何してもかわいいかわいい」ってでろでろに甘やかすとかではなくて、メンバーとして対等に見ているというか(失礼な言葉かもしれない)同じ目線でいるというか。そんな感じ。改めて感じた。それは佐野くんを最年少、10代、まだまだ若いから〜といって甘やかしすぎなかったAぇの方針?と、佐野くんの真面目さ、謙虚さ、があるんだとおもう(あくまで推測)「まだ若いからこれができなくてもいい」ではなくて、今これだけできていることを踏まえた上で、「まだまだ若いから、これからもっと俺らが知らない部分も出てくると思うよ」って将来への期待を寄せてくれる感じがとてつもなく好きだった。

お芝居に関する考え方とかフィーリング?が合うんやろうかさのすえって。なんか似てるのかな

 

あと何よりもグッときたのは誠也くんの「一緒にミュージカルやりたいな」の一言。号泣した。

グレショーの一回目の公演(さのすえが若干言い合うとこ)とか、Super Wednesdayとかでさのすえが絡むお芝居を観て、将来的に絶対にさのすえでお芝居をしてほしいと思ってた。でもそれは、ただのオタクの夢だと思ってた。本人たちがやりたい!って言いはるなんて夢にも思わんかったし、そんなに夢を叶えてもらっていいんですか?(まだやるって決まってない)って思った。

               推しと解釈が一緒なの最高では?????

 

グループ結成前までほぼ接点がなかった二人が、Aぇ! groupが結成されて、心的距離が縮まって、一緒にミュージカルやりたいっていうまでになるなんて。もう号泣である。絶対に絶対にしてほしい。全通したい。(欲を言うならば社会人になってお金を貯めてから臨みたい。)

 

こんなにボリュームたっぷりの、しかもものすごく真剣なインタビューを読むことができるなんて。いやほんとさのすえで対談って夢だと思ってたしいつかしてほしいなあ!!って思ってたけども、こんなに早く叶うなんて、私はもうすぐ死ぬのだろうか。

ファンが、さのすえの相性がいいって勝手に思ってるだけじゃなくて本人たちも思ってるなんて。幸せ極まりない。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

なんかもう本当に生きててよかったし、Aぇ! groupに、さのすえに出会えてよかったし、もう全てに感謝の気持ち。この二人を好きでよかった。

バラエティー等で絡むさのすえ、佐野くんがせーやくん!って寄っていくさのすえ(俗にいうイチャイチャしてるさのすえ)めちゃくちゃ好きだしありがとうございます!!!!!!の気持ちなんだけど、ふと隣にいてシンクロの動きをするとか(心的距離の近さ)、お互いのことを真剣に褒めあってたりとか、お芝居とかお仕事のお話をする末澤誠也さん、佐野晶哉さんのさのすえという二人が好きなんだなと改めて実感した。2人を推すなんて、どちらに対しても中途半端だとか思われたりしないだろうか、みたいな思いもあったけど、やっぱり私はさのすえ担だなと確信した。この二人がユニット曲などで、どんな曲を選んで、どんな風にパフォーマンスするんだろうという興味(期待)が高まった。

 

私は結成当時を知らないし、本当にここ約1年でファンになった新規なのだけれど、過去の映像や、私が好きになった頃に見たライブの時の様子と比較しても、ここ最近のさのすえは本当に仲がいいというか、信頼し切っているという様子がより濃くなったように感じる。(個人的に)

なんかもう、、、幸せすぎてずっと二人そのままいてください、陰ながらめちゃくちゃ応援してます、これからも応援させてくださいの気持ちになった、、何時間経っても読むだけで号泣案件。

写真も、アイドル誌ではツーショットがないときのが多くて、あったらやった!って思ってたくらいなのに今回こんなにいただいていいんですかの気持ちになった、、、写真がとにかくかわいい。家の壁という壁に貼りたい。研究室にも貼りたい。STAGE navi さん、本当に素敵なインタビューを載せてくださってありがとうございました。

 

以上です。長い。重い。もはや自分でも重すぎて怖い。でも本当に嬉しかったから。恥ずかしくて見返すことはないかもしれないけど、記録用です。

読んでくださった方がもしいらっしゃるとしたら、本当にありがとうございます。これからも全力でさのすえを応援していこうと思います☺️

受け止められる人になりたいという話

初めまして。miと申します☺️

 

もう一生戻ることはないだろうと思っていたジャニーズ界隈に見事に舞い戻ってきて約1年が経ったオタクです。

初めてオタ垢なるものを作り、いろんな人とお話する中でさらに推しへの愛が深まる日々を過ごしています☺️

 

と自己紹介(?)は置いといて。

 

今回はそれにあまり関連はないかもしれませんが、「受け入れる」と「受け止める」について綴ってみたいと思います。

 

このことについて考えるようになったのは、何年か前に大学の授業で「多文化共生」について扱われたことがきっかけでした。

「多文化共生とは」「様々な文化、考え方、背景を持っている方々と共に生きていく」というような意味です。(超ざっくり)

 

その講義で教授がおっしゃった言葉の中で強烈に印象に残っているものがあります。

「異文化を受け入れなくてもいい、受け止めることができたらいい」です。

最初にこの話を聞いた時、正直「え、受け入れなくていいの!?なんで!?」と思いました。

「いろんな文化や考え方を持っている方を受け入れて一緒に生きていきましょう」というような内容かと思っていた私には衝撃的でした。

先生がおっしゃるには「自分と異なる状況に対して、どうしても理解できない、受け入れられないということはある、受け入れようとするんじゃなくて「こういう文化があるんだ」と受け止めることが大事だ」ということでした。

 

なるほど、受け入れようと努力しなくても、「こういうのがあるんだなあ」と思えればいいんだと。その時少し心が軽くなったように思います。

 

この意識って多文化共生以外、オタクの世界にも当てはまるのでは?と考えるのです。

 

ここ数年でSNSが普及し、自分の意見を発信できる場が増えています。

Twitterのように「呟き」という形で気軽に自分のことを伝えることができ、「いいね」や「リプライ」などで共感を示したり、いろんな人とお話できるということはすごく楽しいですね。私も、オタ垢を作っていろんな人と交流するのが楽しいです。

 

しかし、推しを検索したりする際にたまにこんな光景を目にします。

例えば、「〜に〜してほしい」という意見に対して全く関係のないところから「ありえない、何を考えてるんですか!?」や「〜ってことですか?おかしいんじゃないの」などというようなやりとりです。

このようなやりとりを見た時、なんとも言えない苦い気持ちになります。

 

「多文化共生」の講義を経て、もしかしたらそういう風に攻撃的に突っかかってしまう人は「受け入れよう」「受け入れてもらおう」「分かりあおう」とするからなのかなと考えるようになりました。

もし何かのファン同士だとしたら「同じもののファンなんだから同じ考えでいないといけない」「だから分かり合わないといけない」というような潜在意識があるのかもしれません。

もちろん、「ファンだから同じ考えでいなければいけない」ことなんて決してなくて、

どのような考えを持っていても、どのような応援の仕方をしていても良いはずです。

だから「受け入れてもらわないといけない」という意識は必要ないのです。

 

自分と異なる意見や相容れない意見を目にした時に、「受け入れてもらうために戦う」のではなく、「こういう考えもあるんだなあ」「この人は私と違ってこう考えているんだなあ」と受け「止める」ことができると、感情的に相手を傷つけてしまうというケースが少しは減るのではないかと考えます。

 

また、人を傷つける言葉を向けたりすることはないにしろ、「何で分かり合えないんだろう」「何で受け入れてくれないんだろう」と思うことはよくあることです。

「自分の常識は相手にとっての非常識」、「それぞれ考えや価値観が違う」ことを念頭において、お互いの常識・意見・考えを受け止めるというワンクッションを置くことができたらいいなあと自戒もこめて思います。

(意見に対して、正しい言葉・正しい形で行う批判・反論は必要であると思いますが。)

 

何でも受け入れられる人よりも何でも受け止められる人になりたいなと思う今日この頃です。わかっていても意外と難しい。でもそういう人が増えると、もっと優しい世界になって、今以上に楽しくオタクができるのでは!?と考えています。

 

ここまで長々と書き連ねてきましたが、読んでくださった方はいらっしゃるのでしょうか。もしいらっしゃったら本当にありがとうございます。

拙い文章ではありますが、少しでも何か伝われば嬉しいです☺️