分からなくてもいいんじゃないか

こんにちは。miです。

 

みなさまいかがお過ごしでしょうか。暑くなったり急に大雨が降ったりと、不安定な状態が続いていますが、お元気にされていますか。私はなんとか元気です。(手紙??)

 

さて、今回はAぇと全く関係ないことを書いていこうと思います。Aぇ垢なのにAぇ関係なくてすみません。公開アカウントがこちらしかないもので、、

 

 

今回のテーマは「分からなくてもいいんじゃないか」です。

タイトルだけでは ??と思うかもですがもしお時間がありましたら、目を通していただけたら幸いです。

 

今回の話を考えることになったのは、大学院での授業がきっかけです。

元々私の勝手なイメージではありますが、大学院は「自分の研究分野の専門性を高めるための場所」であり、大学院生になったからには何でも知っていなければいけないと考えていました。

 

私の所属する大学院は、大学院生になっても自分の専門分野以外の分野もいくつか授業を取らなければならないという制度がありました。なので、私自身言語学専攻ではありますが、教育学などの授業も履修していました。その授業は外国の方が書かれた教育学の専門書の翻訳版を読んでレジュメにまとめ、話し合うという内容でした。

レジュメは本の要約をすればなんとかなったのですが、教育学を全く学んだことがなく知識が皆無である私には、本に書かれてある意味がまったくもって理解できず、疑問点や自分の考えすら思い浮かばない状態でした。(これは日本語で書かれてるのか?レベル)そしてそれは知識がない私が悪く、大学院生にもなってこんなこともわからないなんて恥ずべきことだと思っていました。

 

しかし、恐る恐るその旨を伝えたところ、先生は、「そうなんだよねえ、全然わからないんだよねえこの本」とおっしゃいました

 

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授業を受け持ってくださっている先生はこの分野の専門とされていらっしゃって、何年もご研究されているはずなのに「わからない」とは????

 

そうして先生はこう続けました。

「この授業は、この本を「この言葉はどういう意味なんだろうね」「こういう解釈なのかな」「わからないねえ」ってみんなで言い合いながら一緒に読み進めたいと思います。ですので1回の授業で1ページも進まない時があってもいいと思ってます。」

と。

衝撃でした。何年も研究されている先生でも「わからない」ことが多いこと、そして、考えた挙句、結局「わからな」くてもいいんだということが。必ずしも結論を出さなくてもいいということが。

 

そしてこれは、自分の専門分野の授業においても起こりました。専門分野にも関わらず全く理解できない論文に出会ってしまった時、専門分野でさえもわからなきことに落ち込んでいたのですが、その際も先生が「〇〇っていうことなのかもしれないけどわからないよね」とおっしゃったことがありました。

自分の専門分野でも!!知識不足という原因以外でも「わからない」って言っていいんだ!という衝撃をここでも受けました。

 

ここまで読まれていて、「人間やからわからんことくらいあるやろ」と思われるかもしれません。「わからんから研究してるんちゃうん」と思われたかもしれません。ごもっともです。それでも私にとっては衝撃だったのです。考えた挙句、「わからない」という結論を出してもいいということが。

 

どうして「わからない」と発信することを躊躇ってしまうかと考えると、小学校から今までの教育の中で「わからない」ということは恥とされる、または自分の責任であるとされることが多かったからなのではと思います。テストなどでは、「わからない」ということは「覚えていない、勉強不足」とされたりだとか(基礎知識のテストなのでそりゃそうだという一面もありますが)、大学のレポートなどでも「よく考えたけどわかりませんでした」という結論を出したことはなかったなあと。そのようなことを書くときっと評価が悪くなっていたかもしれません。

 

でも「考えてみたけどわからない」ことって決して恥ずかしいことではないし、そういう結論があってもいいんですよね。

このことは私が大学院で得た大きな気づきだと思っています。これに気づくまでにここまでかかったのかと言われてしまいそうですが。

 

そしてこれは演劇だとかそう言った類にも当てはまるのでは、と私は考えます。

例えばグレショーとか。前回の『おしりと御飯』などのように、「あれってどういう意味だったんだろう」という場面が、演劇などだと特に出てくると思います。私にとっては『染、色』もそうでした。そういうものに出くわした時、「あの部分ってこういう意味だったんだろうか」「私はこういう風に解釈した」という意見や考察は本当に見ているのも楽しいですし、私もよくしますし、どんな意見もあっていいと思います。

そしてそこに「考えてみたけどわからなかった」「どういう意味だったんだろうね」という意見があってもいいのではと思います。「わからなかったけどきっと多くの人が共感しているからこの考察が正しいんだろう」と、無理に落とし込むのではなくて、「わからなかったな」という思いのまま閉じてしまってもいいのではないでしょうか。

私は今まで無意識に「こう思わなくてはいけない」「きっとこう考えるのが正解」と思っていたのかもしれません。でも、「わからなかった」と気づけるということも大きな財産なのかなあと思うようになりました。わからないっていうのも正解なんだなあ。

 

 

以上、結局なんの話をしたいのかという感じですが、誰に宛てたわけでもなく、頭に思い浮かんだことをそのまま書き連ねてしまったという次第です。大学院でこんなこと学んだよ〜、そこからこんなこと考えたよ〜というような。

(その割に長いけど)

 

ここまで読んでくださった方、いらっしゃるのでしょうか。(自信がない)

いらっしゃるとしたら、読んでくださったこと、心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。