受け止められる人になりたいという話

初めまして。miと申します☺️

 

もう一生戻ることはないだろうと思っていたジャニーズ界隈に見事に舞い戻ってきて約1年が経ったオタクです。

初めてオタ垢なるものを作り、いろんな人とお話する中でさらに推しへの愛が深まる日々を過ごしています☺️

 

と自己紹介(?)は置いといて。

 

今回はそれにあまり関連はないかもしれませんが、「受け入れる」と「受け止める」について綴ってみたいと思います。

 

このことについて考えるようになったのは、何年か前に大学の授業で「多文化共生」について扱われたことがきっかけでした。

「多文化共生とは」「様々な文化、考え方、背景を持っている方々と共に生きていく」というような意味です。(超ざっくり)

 

その講義で教授がおっしゃった言葉の中で強烈に印象に残っているものがあります。

「異文化を受け入れなくてもいい、受け止めることができたらいい」です。

最初にこの話を聞いた時、正直「え、受け入れなくていいの!?なんで!?」と思いました。

「いろんな文化や考え方を持っている方を受け入れて一緒に生きていきましょう」というような内容かと思っていた私には衝撃的でした。

先生がおっしゃるには「自分と異なる状況に対して、どうしても理解できない、受け入れられないということはある、受け入れようとするんじゃなくて「こういう文化があるんだ」と受け止めることが大事だ」ということでした。

 

なるほど、受け入れようと努力しなくても、「こういうのがあるんだなあ」と思えればいいんだと。その時少し心が軽くなったように思います。

 

この意識って多文化共生以外、オタクの世界にも当てはまるのでは?と考えるのです。

 

ここ数年でSNSが普及し、自分の意見を発信できる場が増えています。

Twitterのように「呟き」という形で気軽に自分のことを伝えることができ、「いいね」や「リプライ」などで共感を示したり、いろんな人とお話できるということはすごく楽しいですね。私も、オタ垢を作っていろんな人と交流するのが楽しいです。

 

しかし、推しを検索したりする際にたまにこんな光景を目にします。

例えば、「〜に〜してほしい」という意見に対して全く関係のないところから「ありえない、何を考えてるんですか!?」や「〜ってことですか?おかしいんじゃないの」などというようなやりとりです。

このようなやりとりを見た時、なんとも言えない苦い気持ちになります。

 

「多文化共生」の講義を経て、もしかしたらそういう風に攻撃的に突っかかってしまう人は「受け入れよう」「受け入れてもらおう」「分かりあおう」とするからなのかなと考えるようになりました。

もし何かのファン同士だとしたら「同じもののファンなんだから同じ考えでいないといけない」「だから分かり合わないといけない」というような潜在意識があるのかもしれません。

もちろん、「ファンだから同じ考えでいなければいけない」ことなんて決してなくて、

どのような考えを持っていても、どのような応援の仕方をしていても良いはずです。

だから「受け入れてもらわないといけない」という意識は必要ないのです。

 

自分と異なる意見や相容れない意見を目にした時に、「受け入れてもらうために戦う」のではなく、「こういう考えもあるんだなあ」「この人は私と違ってこう考えているんだなあ」と受け「止める」ことができると、感情的に相手を傷つけてしまうというケースが少しは減るのではないかと考えます。

 

また、人を傷つける言葉を向けたりすることはないにしろ、「何で分かり合えないんだろう」「何で受け入れてくれないんだろう」と思うことはよくあることです。

「自分の常識は相手にとっての非常識」、「それぞれ考えや価値観が違う」ことを念頭において、お互いの常識・意見・考えを受け止めるというワンクッションを置くことができたらいいなあと自戒もこめて思います。

(意見に対して、正しい言葉・正しい形で行う批判・反論は必要であると思いますが。)

 

何でも受け入れられる人よりも何でも受け止められる人になりたいなと思う今日この頃です。わかっていても意外と難しい。でもそういう人が増えると、もっと優しい世界になって、今以上に楽しくオタクができるのでは!?と考えています。

 

ここまで長々と書き連ねてきましたが、読んでくださった方はいらっしゃるのでしょうか。もしいらっしゃったら本当にありがとうございます。

拙い文章ではありますが、少しでも何か伝われば嬉しいです☺️